きものは絵画であると・・・・
加賀友禅で出雲・松江百景
そして上海 蘇州に渡り 南画・明綴れ・蘇州細刺繍で
しんじ湖詩情 等 数々の他にない新しい創作着物を制作発表
近年 江戸琳派酒井抱一の絵に触れ
「秘すれば花、秘せずば花なるべからず」を感じ
酒井抱一をテーマに作品を発表
構想・草稿・下絵・彩色指示までと
平面の絵をまとうことで 着る人の気持ちが
表現出来るきものを作品制作
永年の経験を生かし
熟練の職人技で錐嵌加工 柄足し 彩色等を行い
今のきものに蘇る制作を続けています

ときに流されることのない 
永遠の美を 心の色に染め上げて

やまはしづかにして性をやしなひ水は動いて情をなぐさむ
予が風雅は夏炉冬扇の如し衆にさかひて用ふるところ無し
青鷺の眼を縫ひ鸚鵡の口をとざゝんことあたわず
古人のあとを求めず古人の求めたるところをもとめよと
南山大師のふでのあとにも見えたり
おろかなるものには思うことおふし
さくらをはなとねところにせぬぞ花にねぬ鳥の心よ
あさにおもひ又ゆふをおもうべし
     
                 藤 村  
右はせをの言葉をしるして松江の宿のあるじにおくる
昭和二年七月山陰の旅に来たりし
[ 出 雲 路 百 景 ]
ひと夏、山陰松江に暮らした事がある。
町はづれの濠に臨んだささやかな家で、独り住まひには申し分なかった。
庭から石段で直ぐ濠になっている。
対岸は城の裏の森で、大きな木が幹を傾け、水の上に低く枝を延ばしている。
水は浅く、真菰が生え、寂びた工合、濠といふより古い池の趣きがあった。
鳰鳥が終始、真菰の間を啼きながら往き来した。・・・・・
私はここでできるだけ簡素な暮らしをした。
人と人と人との交渉で疲れ切った都会の生活から来ると、
大変心が安まった。
虫と鳥と魚と水と草と空と、
それから最後に人間との交渉のある暮らしだった。
志賀直哉 「濠端の住ひ」より 

松江の印象より

きものさかや創業者 先代 晴美秘蔵品

江戸琳派酒井抱一訪問着下絵図

昭和四十五年 五十一歳
大阪万博博覧会
天の橋立へ銀婚旅行
この頃より旅の景色を文様化する
出雲の地での作品
本加賀友禅
出 雲
矢田 博 作

宜保聡氏に依頼した草稿図

右の着物の草稿図です

知念貞夫氏に依頼した草稿図

草稿・下絵を作成し、知念貞夫氏に依頼した中の一枚です。
2013年春号美しいきものの表紙を飾りました。

琉球紅型宗家(城間家・沢岻家・知念家

畠には 穀物が無く
大地には 青草がなく
樹々には 葉がないけれど
あの澄んだ 冴々とした空の青さを
私は讃仰する
無垢の空 純潔そのものの空
信仰の空
善なる 彼の温き空

千家元麿( 詩集「霧」)より
松江はほとんど、海を除いて「あらゆる水」を持っている。
椿が濃い紅の実をつづる下に暗くよどんでいる濠の水から、
灘門の外に動くともなく動いてゆく柳の葉のやうに青い川の水になって、
滑かな硝子板のやうな光沢のある、どこともなく
LIFE LIKE な湖水の水に変るまで、
水は松江を縦横に貫流して、
その光と影との限りない調和を示しながら、
随所に空と家とその間に飛交う燕の影とを映して、
絶えず懶い呟きを、此処に住む人間に伝へつゝあるのである。

自分は其一つに此千鳥城の天守閣を数へ得る事を、
松江の人々の為に心から祝したいと思ふ。
さふして蘆と藺との茂る濠を見下ろしてかすかな夕日の光にぬらされながら、
かいつぶり鳴く水に寂しい白壁の影を落としている、
あの天守閣の高い屋根瓦が何時までも、
地に落ちないやうに祈りたいと思ふ。 
芥川龍之介「松江印象記」より
朝日のさしのぼる方を眺めやると、
橋杭のたくさんある木橋のかなた、大橋川の上手の方に、
船尾の高い一艘の小舟が、いまちょうど帆を上げているところだ。
夢のようなこんな美しい船を、わたしはまだ見たことがない。
まさに東瀛の夢だ。
それほどこの小舟は、靄のために理想化されている。
これは舟の幽霊だ。
幽霊ではあるが、この幽霊は日本の雲とおなじく、
光をうける幽霊だ。
たとえば、ほの青い光のなかにびょうどうとかかる。
なかば透きとおって見える金色の靄の精とでもいおうか。

手を拍つ音がやんで、一日の仕事が始まり出す。
カラカラと下駄の音が、漸次高く響いてくる。
大橋の上で下駄の鳴る音は、何うしても忘れられない-----
速くて、陽気で、音楽的で、盛んな舞踏の音のやうだ。
実際また舞踏だ。
みんなが爪先で歩んで行く。
朝日の射した橋上を通る数えきれぬ人の足が、
チラチラするには驚くべき光景だ。
その足は皆細くて、恰好が均勢を得て、
希蠟の古甕に描いた人物の足のやうに軽やかでして、
足を運ぶとき、指を先に下ろす。
実際下駄では外に仕様がない-----
それは踵は下駄にも着かねば、地にも着かないし、
足は楔形の木の台を前に傾けては進むものだから。 
小泉八雲「神々の国の首都」から
既に半月を過ぎた今日でさえ、古風な町の印象は私の頭の中でうすくぼやけている。
梅雨空のせいもあったが、広大な宍道湖を前に控えたこのひそかな町は、視野の尽くるところに、
遠く霞む中国山脈が雲の中に起伏する線の下に袖師ケ浦の突起を見せ、
嫁ケ島の松の緑を炭色に濁る空の一角にくっきりとうきあがらせている。
長くうねるような層をつくった雲は、薄藍の層をつくって宍道湖の上に垂れさがっている。
私は子供のころから雲が好きで、今までもいろんな雲を見ているが、古色を帯びたこの雲の趣きはまた格別である。
伊東でたった一ぺんだけ見たことがある夕方の瑞雲-五色の色を湛えたこの雲は豊かな感じに溢れていた。
それからパターン半島の戦場でみた積乱雲。
この雲には底知れぬ妖気がただよっていた。
それに比べると宍道湖の湖面に映る雲のかたちは、ただ古色蒼然とした趣きを呈しているだけでなく、
何んとなくすがすがしい明るさに満ちあふれている。

川面に立ちこめるうすい靄をとおして松江大橋が墨絵のように浮かび上る。
袖師ケ浦のあたりに漁船であろうか、灯影が点々とうごき、情感が胸にあふれてきた。
和田見は大橋川にそった中の遊郭である。
大橋は焼けなくとも、雷電は幾たびとなく和田見の夜景を味わったであろう。   尾崎士郎 
出雲路には 美しい自然と温かい人情がゆったりと息づいている
その出雲路でのすばらしい人々の心を育くんだものには
宍道湖(碧雲湖)とその源となる簸の川から生まれてくる
水にあるのではないでしょうか

水のながれによって大地が生まれ
その大地が育くむ草木
そしてそれらの現象によって
空における雲が生まれる

出雲路は・・・・
人と自然との素晴らしい交わりによって
この地に他と異なった文化が生まれたのです
静かに清しい朝は
今、白蓮華の如く、香り高く、
湖の上に目ざめ、
何処となく聞こえる、楽し気な
数知れぬ魚類のため息
岸辺の丘や森の息吹が
微に湖心に通ふ、秋立つ気配、
蒼空の晴れにも、
水の明るさにも、
将また汀の石に這ふ舟虫の足の忙はしさにも。
広々しさよ、冷たいまでに
湖の広々しさ、しめやかさ

竹内勝太郎 長編「湖心」より
 

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 大正から昭和初期のきもの職人たちは 作品に弛まない挑戦をし
自由な発想と新しい技を磨き
近代着物染織の中で類まれな きもの が創作されました
きものさかやは職人たちの心が伝わり
着る人の想いが残る
そんな きもの に憧れます